何も足さない朗読

私には、1人、朗読の師匠がいる。
3回ほどしか教わっていないけれど、
私はいつまでも師匠だと思っている。
今でも、教えてもらいに行きたい。

あるとき、
「美穂ちゃん、私たちは、ただの水道管なのよ。
作者の思いがあって、私たち朗読者はそれを通すだけ
なの。」
をおっしゃった。

???

初めて聞いたときには、よくわからなかった。
でも、すぐに、ああ、やっぱりそれでいいんだと思った。

20代のころ、お芝居をやっていたときのこと。
多くの役者が、
”何か人と違う事”
”何かアピールできる事”
”何か人をビックリさせる事”

を考えていた。

そして、
演技に、たくさんのものを付け足していた。

付け足すと、演技過多になってしまって、
観ている人にとっては、邪魔になることが多い。
お客さまの想像力までも奪ってしまうのだ。

それでも、役者が付け足してしまうのは、
”何かをすることが演技をすることだ”・・・と思っているか、
”付け足さなければ怖い”・・・あたりの理由が多いと思う。

"何かをすることが演技することだ"と思っている話は
演技論になるので、ここでは話さない。

もう一つの方、”付け足さなければ怖い"について。
付け足さなかったら、一体何が自分には残るのか、
残る物があるのか。
これが不安でたまらないということだ。
空っぽのスカスカの自分が露呈されるのが怖い。とかね。
中には、ものすごい自分が露呈されるのが怖い、
って場合もあるかもしれないけど。
いずれにしても、
付け足す事で自分を守っている。

でも。
もちろん。
当たり前のことだけど、何も付け足さなくても
あなたはあなたなので、そのまま残る。

そして。
あなたそのもので、ステージに上がれたら、
もう個性的だ。
なぜなら、
あなたと同じ生き方をしている人は
この世に一人もいないのだから。

本気であなたがあなたのままでいられたら、
個性的なのは当たり前なのだ。
これは、朗読やステージに限る事ではない。
あなたは、孤独だからこそ、かけがえのない存在なんだ。


でも、なかなかそのままでいること、
特にステージに上がることはできない。
空っぽのスカスカの自分が露呈されるのが怖い。
・・とかいろんな理由でね。

それでも、もしも、あなたが、
個性的でありたいならば、
まずは、勇気を振り絞って、
何もつけないでステージに上がってみる事だ。
何もつけないで、ただ、朗読してみる事だ。
そこからしか始まらない。
スカスカだろうが、ちゃんと残る。

結局、あなたというフィルターで通したものは、
どんなに水道管になっても、あなたらしい。
あなたの声、あなたの感動ポイント、
そこから生まれるあなたのイントネーション、
それはあなただけのものだから。
ありのまま、伝えるということに没頭すればするほど、
ちゃんとあなたらしい朗読となる。

声色ひとつ、変える必要はない。
変えるのではなく、自然に変わる。


私の師匠がエッセイを読んだときのこと。
師匠がその本をお読んだときに面白くて面白くて仕方がない!
と感じた事がそのまま伝わってきて、聞いていて
こちらまで面白くなった。

つまり。
面白い朗読をしたかったら、
作品を面白いと感じる心を磨くことだ。
面白いと感じなければ、面白いと感じてもらう朗読はできない。

作者は、何かを感じて欲しくて文章を書いている。
その感じ方はそれぞれで良いということはわかっている。

だから。
本から
ちゃんと何かを感じること。
つかみ取ること。

大切なのはそこなのだ。

自分が表現する小手先の内容ではない。

本当の水道管というのは、
作者に寄り添って寄り添って
自分が感じる限界まで感じとって、
想いをみんなの元に流すこと。

だからね。
そのままで大丈夫だよ。
と言ったけれど、
もちろん大丈夫だし、
自分らしさが出るのは出るけれど、

あなたが趣味や自己満足で読んでいるなら、
それでもう一向に構わない。
○○さんらしい。だけで、十分。

でもあなたが人を感動させる朗読をしたいというのであれば、
実は、そう簡単じゃない。

出来る限り、そのまま作品を掴む。
そのための自分の感性を磨くことしかない

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アナウンサーでもない、ナレーターでもない、声優でもない、役者でもない
朗読家
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