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父の言葉

今日も最高の1日だった。
酔っぱらった父に連れられて、行きつけのカラオケスナックに行った。
(ホントは苦手だけれど、)楽しく歌っていたとき、
父が兄にリクエストして「いちご白書をもう一度」を歌った。
兄の産まれた年、私はまだ産まれていない年、68年に起きた70年安保の話になって、父があの日どこにいたかという話になった。

その流れだったかな。
父が、「今の日本を発展させたのは僕たちだけど、ダメにしたのも僕たちだ」って言った。

高校生の頃、バブル絶頂だった頃、日本が世界で第一位の経済大国になった頃、父は、営業の仕事でまるで有頂天になっていて、私はそんな父が大嫌いだった。
こんなのおかしい、という私に「美穂、人間はすごいんだぞ。地球を3回も壊せるんだ」と言っていた父。本当に頭がおかしくなったと思っていた。

私の話す言葉に、「こいつ、頭がおかしいから精神病院に連れて行け」と言って取り合ってくれなかった父。

小さい頃から、一人だけ家族からはみ出していた。
でも、多分、父母は気づくことなく、迷うことなく、自分たちの思う様に私を教育という名の元に修正をした。お前はワガママだと言って。
そして気づいた頃には、小学生高学年の頃には、東大に行くことが一番凄いことだと思い込んでいたし、頭が悪いことは「悪いこと」だと思っていた。

その後、いろんなことに気づいて、それでも自分の中に、本来、私が持っている価値観とは違うものが入り込んでいるから、酷い自己矛盾があって、それはそれは大変な戦いだった。
いつでも、頭ごなしに言葉の力をふるう父。

それでも、ずっと私が創った物を見続けてきてくれたんだ。

10代の頃、原発というものが恐ろしくて、当時から六ヶ所村再処理工場に反対していた私。
2011年、原発が事故を起こしたとき、何が起きているのか、私がネットで仕入れた情報を伝えても、「国が大丈夫だと言っている」と言って、取り合ってくれなかった父。
その後、どんどん「本当に起きていたこと」が明るみに出ていくのを見ていた父は、見るも無惨に落ち込んでいった。

「自分たちが一生懸命創ってきたのは、何だったのだろうか」ときっと思っていたんだ。

それでも、私のことは認めてくれなくて、お金で計られる毎日だったし、今でも言葉は出てしまう父だけれど・・・、それでも心の中でそんなことを思っていたんだ。
「ダメにしたのも僕たちだ」って。

そんなことを言われたら、「いいよ。これからどうするかだから。」と答えるよ。
兄も私もね。だし、本当は良いも悪いもないしさ。(そこまでは伝えられないかもな)

うまく言えないけれど。
勝ち負けでは決してないのだけれども、私は生き抜いたんだなってわかった。
そう、私、勝ったんだ。
どこまで伝わったのかはわからないけれど、私が自分の人生をかけて大切に大切に、高校生の頃、いや、幼稚園の頃、いや、産まれた頃から手放さずに大切にして生きてきたことが、ほんの少しだけ、父に、母に伝わったのかもしれない。

私の歌を聴いたのは、多分、去年の10月ぶりかな。
「本当にうまくなった」と言ってくれた。

あー、良かった~。
父と母を選んで産まれてきて良かった。

こういう幸せって、(言葉で書いたけれどw)本当は言葉にできない。な。

泣けるぜっ!
さて、今日はこれからもう一仕事!
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